2019年11月29日、第71・72・73代内閣総理大臣を務めた中曽根康弘さんが亡くなりました。
享年は、101歳でした。
そこで、今回は、中曽根元総理について、
- 中曽根康弘の自宅住所は?
- 中曽根康弘の妻・息子・孫
- 中曽根康弘が「大勲位」と呼ばれる訳
について、調査していきます。
また、この記事の後半には、中曽根康弘さんに関する動画を掲載しております。
ぜひ、合わせてチェックしてみてくださいね!
中曽根康弘の自宅住所は?
中曽根康弘(なかそね・やすひろ)さんは、1918年5月27日生まれ、群馬県高崎市出身の政治家です。
【中曽根氏 昭和知る最後の首相】https://t.co/r78sEek1CP
昭和を代表する政治家の一人で、受章した勲章から「大勲位」と呼ばれた中曽根元首相が29日、老衰のため亡くなった。昭和に総理大臣を務めた存命の政治家は、中曽根氏が最後だった。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) November 29, 2019
中曽根康弘さんの自宅は、東京都世田谷区上北沢にあります。
詳細な住所は不明です。
2016年7月までは、中曽根康弘にはSPが付き、自宅近辺にはポリスボックスもあったそうです。
中曽根康弘の妻・息子・孫
中曽根康弘さんの家族について、見ていきたいと思います。
妻 中曽根蔦子(ツタコ・ナカソネ)
中曽根元首相の妻は、蔦子(つたこ)さんといいます。
1921年(大正10年)10月30日生まれで、明治大学教授・小林儀一郎さんの三女です。
蔦子さんは、東京都出身、日本女子大学国文科卒。
中曽根康弘さんとは1945年に結婚し、2012年11月7日に亡くなっています。
91歳、心筋梗塞のため死去しました。
蔦子さんは1983年のレーガン大統領夫妻来日の際に、
ファーストレディーとして『日の出山荘』で接遇し
中曽根首相時代の政治活動を支えていました。
息子 中曽根弘文(なかそねひろふみ)
中曽根康弘さんには、息子の長男・弘文(ひろふみ)さん、
長女・美智子さん、次女・美恵子さんの3人の子供がいます。
長男の息子の弘文さんは、1945年(昭和20年)11月28日生まれの74歳(2019年11月29日現在)です。
憲法前文は「コピペ」 中曽根弘文元外相が発言 https://t.co/w4FD5XfA0y pic.twitter.com/12TSl4EEn4
— 産経ニュース (@Sankei_news) December 12, 2017
弘文さんは、1986年の初当選から参議院議員(自由民主党所属)を務めており、
麻生内閣の外務大臣、小渕内閣の文部大臣・科学技術庁長官なども務めています。
孫 中曽根康隆 (なかそねやすたか)
中曽根康弘さんの孫にあたる、弘文さんの長男は、康隆(やすたか)さんといい、
1982年(昭和57年)1月19日生まれの37歳(2019年11月現在)です。
「失ってからその存在の大きさに気づく」とよく言いますが、私にとって祖父は常に大きすぎる存在でした。祖父は「身体に国家が宿っている」と常々申してましたが、その功罪は祖父の「政治家は歴史法廷の被告席にいる」という言葉の通り、歴史が判断するでしょう。祖父の想いを胸に修養に努めます。合掌 pic.twitter.com/BoWvwJVbRj
— 中曽根康隆【衆議院議員/群馬】 (@yasutaka_nksn) November 30, 2019
現在、衆議院議員(自由民主党所属)一期目です。
中曽根康弘が「大勲位」と呼ばれる訳
中曽根康弘さんというと、「大勲位」と呼ばれることがありますね。
中曽根康弘さんは、何故、そのように呼ばれるのでしょうか?
そもそも「大勲位」とはどんなものなのか、というところから調べてみました。
大勲位とは、明治時代以降の栄典制度における最高位の勲章である「大勲位菊花章頸飾」および「大勲位菊花大綬章」の通称です。
中曽根康弘さんは、1997年4月29日、大勲位菊花大綬章を受章しました。
2018年当時、皇族の他に大勲位菊花大綬章に叙されている存命の人物が、中曽根康弘さんだけだったことから、大勲位が中曽根康弘さんの俗称となりました。
ちなみに、戦後、生存者叙勲の復活が閣議決定された直後には、「戦前の勲章の復活などは、今の憲法にふさわしくない」と語っていたそうです。
現憲法下で、皇族・外国人以外で大勲位菊花大綬章を生前受勲したのは、吉田茂さん、佐藤栄作さんに次いで3人目ということです。
また、中曽根康弘さんは、大日本帝国海軍の軍人だった時、海軍主計少佐として従六位に叙されています。
まとめ
ここまで、中曽根康弘さんについて、
- 中曽根康弘の自宅住所は?
- 中曽根康弘の妻・息子・孫
- 中曽根康弘が「大勲位」と呼ばれる訳
について、調査してきました。
いかがでしたか?
大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生き、総理大臣を3期も務めた中曽根康弘さん。
晩年も、自宅で執筆活動をされていたといい、また週4回ほど「ご意見番」として通勤していたそうです。
長い間、お疲れ様でした。
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