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大東文化大学駅伝の監督やコーチは?選手時代の成績や名言は?

大学駅伝
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大東文化大学駅伝部は全日本大学駅伝の関東地区選考会にて2位となり4大会連続本戦出場を果たした。

この成績は監督やコーチの功績によるものが大きいですね。

そこで今回は

・大東文化大学駅伝の監督は?選手時代の成績や名言
・大東文化大学駅伝のコーチは?プロフィールや選手時代の成績

について、徹底調査しご紹介します。

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大東文化大学駅伝の監督は?選手時代の成績や名言

大東文化大学駅伝の監督は真名子圭監督です。

では真名子圭監督のプロフィールや選手時代の成績、名言をご紹介します。

真名子圭監督のプロフィール

大東文化大学駅伝の真名子圭監督は、1978年9月27日生まれ。

三重県出身で四日市高校時代には3000メートルSCでインターハイに出場しています。

四日市高校を卒業後は大東文化大学に進学し、3000メートル障害を専門にインカレで選手時代活躍していました。

大東文化大学在学中には全日本大学駅伝と箱根に4年連続で出場。

特に箱根では4年生の時にキャプテンを務め10区を走り区間新記録をマークしました。

大東文化大学卒業後、2001年に本田技研に入社し、実業団時代には全日本実業団対抗駅伝などに出場。

現役引退後は、大東文化大学で教員免許を取得し地元の三重で高校教師を務めた後仙台育英高校の教員となり、陸上競技無長距離男子ブロック監督を10年務め、チームを2014年から8年連続で都大路出場を果たしチームを就任8年目で日本一へと導きました。

2022年から母校である大東文化大学駅伝の監督に就任し、当時低迷していたチームをわずか2年で9年ぶりの箱根シード権獲得へと導き、今年5月に開催された全日本大学駅伝関東地区選考会にて2位となり4大会連続本戦出場を果たし現在に至ります。

真名子圭監督の選手時代の成績

大東文化大学真名子圭監督は、大東文化大学時代、箱根駅伝を4年連続走り、1年の時には7区を2年の時には1区を走りどちらも区間14位。

3年の時には1区を走り区間9位、4年のキャプテンだった時には10区を走り区間新で区間賞となっています。

大東文化大学卒業後、本田技研に入社したのち2年目に走ったニューイヤー駅伝では3区を走り区間15位となりチームの総合8位入賞に貢献しています。

真名子圭監督の名言

ここでは、大東文化大学駅伝の真名子圭監督の名言をご紹介します。

「大事なのは弱いときでも応援されるチームになること。
愛される選手はいつか強くなる」

引用元:朝日新聞

大東文化大学駅伝の真名子圭監督のこの名言は、仙台育英高校と大東文化大学での監督経験から得られた言葉です。

仙台育英高校の監督時代には高校が東日本大震災に巻き込まれ練習コースが使えなくなっていた時期がありました。

そんな時期でも選手たちは田んぼのあぜ道を走るなど工夫して練習していたことから、自分なら選手を辞めてしまいそうな状況下で頑張る姿に感動し選手たちの指導を引き受け、監督就任8年目でチームを日本一へと導きます。

大東文化大学でも低迷中の駅伝を就任2年目でシード権獲得へと導いた真名子監督が導き出した答えは、弱い時であっても選手たちが真摯に練習に向き合いスタッフやファンの方に応援されるような選手となり、チームとなること。

選手として愛されるようになることが将来強い選手になれる要因となると語っています。

どんな状況下に置かれても腐ることなくまじめに取り組む姿勢を見せることで周囲から愛され、そのことが自分の実力の向上につながるのだということを表した名言ですね。

「成功しても、失敗しても財産になる。
最後まで続けることが大事だ。」

引用元:読売新聞オンライン

大東文化大学で箱根を走った経験のある菊地駿介選手が故障で寮から離れていた時に真名子圭監督がかけた言葉です。

その言葉に励まされて約3か月のブランクを経て練習に復帰した菊地選手。

選手たちは、故障などで一時的に戦線離脱することもあるかもしれません。

でも、最終的に結果が成功であろうと失敗であろうと経験したことは自分自身の財産になるので、何があっても最後まで続けることが大切であるというこの言葉は、故障で戦線離脱していた菊地選手には励みになったでしょう。

この言葉は、アスリートだけでなくその他の人々に対してもどんな結果であっても何かを続けていくことは自分自身の財産になるという生きていくうえでの励みになる名言ですね。

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大東文化大学駅伝のコーチは?プロフィールや選手時代の成績

大東文化大学駅伝コーチ2人のプロフィールや選手時代の成績をご紹介します。

林昌史

大東文化大学駅伝の林昌史コーチは、埼玉県の浦和実高から1998年に大東文化大学に進学。

大東文化大学時代には1年生の時に箱根で3区を走り区間10位、キャプテンだった4年生の時には3区を走り区間6位という成績を残しています。

大東文化大学卒業後は、ヤクルトに入社し実業団で2006年に走った日本選手権5000メートルで7位、2007年に走った東京マラソンで4位などの成績を残しました。

2016年に現役引退後はヤクルトで会社員として2年間仕事を遂行したのち、2018年からヤクルトの陸上競技部のコーチに就任。

ハーフマラソン日本記録保持者の小椋裕介選手や2020年にマラソンで2時間6分45秒を記録した高久龍選手たちを指導しました。

ヤクルトで陸上競技部員として選手を14年間社員として2年間、コーチとして5年間活動した後、

2023年から大東文化大学男子長距離のコーチに就任し現在に至ります。

真名子圭監督は、林昌史コーチの1年先輩ですね。

原裕史

大東文化大学駅伝の原裕史コーチは、大東文化大学のOBで学生時代は主務を務めていた経験があります。

原裕史コーチの選手時代の成績は残念ながら見つかりませんでした。

原裕史コーチに関する新しい情報は見つかり次第追記させて頂きますね。

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大東文化大学駅伝の監督やコーチは?まとめ

ここまでで

・大東文化大学駅伝の監督は?選手時代の成績や名言
・大東文化大学駅伝のコーチは?プロフィールや選手時代の成績

について、徹底調査しご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。

大東文化大学駅伝は大学三大駅伝のひとつである全日本大学駅伝に出場予定となっています。

2025年11月2日に開催される全日本大学駅伝で上位に食い込めるように、大東文化大学駅伝ファンの皆さん一生懸命応援しましょう!

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