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ジョージ秋山(漫画家)が死去!死因や病名は?家族や息子は?

芸能
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皆さんはジョージ秋山さんをご存知ですか?
『銭ゲバ』や『浮浪雲』などを手掛けた漫画家ですが、
そのジョージ秋山さんが5月12日に死亡していたことが分かりました。

そこで今回は

・ジョージ秋山が死去!死因や病名は?
・ジョージ秋山に残された家族や息子はいるの?
・ジョージ秋山の経歴

について調査しました。

記事の後半には原作ジョージ秋山さんの映画『アシュラ』予告動画を掲載しています。
合わせてご覧ください。

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ジョージ秋山が死去!死因や病名は?

ジョージ秋山さんの突然の死で
ファンの方々はとても驚いたと思います。

死因や病名が気になる人も多いとおもいますが、
死因についても病名についても
公表されていませんでした。

公表していないことから、
もしかするとコロナウィルスではないのでは?とも思ったのですが
告別式は近親者で済ませていると報道されていたので
コロナウィルスではないと思われます。

日本人の死因で多い病気は

1位 ガン(悪性新生物)
2位 心疾患
3位 脳血管疾患
4位 老衰
5位 肺炎

です。

しかし、77歳で老衰になることが
あるのか気になったので、そちらも調べてみました!

すると、一般的には80歳を超えている
ことが目安となるそうです。

80歳を超えた高齢者で

・痩せた
・食事の量が極端に減った
・一日中寝ている

などの兆候が見られた場合が
老衰死の前兆と考えられているそうです。

なので老衰も当てはまらないのではないかと思います。

もしかしたらガン、心疾患、脳血管疾患、肺炎の可能性が高いと思われます。

しかし若くないとはいえ、人生100年時代と言われる現代で
77歳はまだまだ早い気がしますね。

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ジョージ秋山の家族や息子は?

先ほど、告別式は近親者で済ませていると言いました。
では、ジョージ秋山さんの家族や息子はいたのでしょうか?

ジョージ秋山さんには
秋山命さんという
息子さんがいました。

奥さまや娘さんがいると言う情報は掴めませんでしたが
ジョージ秋山さん自身は兄、姉、弟、妹の5人兄弟でした。

ジョージ秋山さんの年齢からすると
兄弟はまだご存命ではないかと思います。

息子である秋山命さんは
1970年5月20日東京生まれの放送作家・脚本家
スポーツや情報番組を中心に活動しています。

レギュラー番組にはTBSの「あさチャン!」などがあります。

放送作家になる前は
野球のマネージャーやイラストレーターをしていたそうで、
父親の作品を『命の素』というほど大切に思っていたそうです。

そのため、父親の作品である『銭ゲバ』のドラマの作成・企画協力、
『アシュラ』の映画の作成・企画協力、『捨てがたき人々』の映画の脚本を手掛けています。

とてもいい親子関係で、尊敬する父親立ったのだと思いますが、
自分の誕生日の数日前に亡くなったのは本当に辛かっただろうなと思います。

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ジョージ秋山の経歴

本名は秋山勇二さん

1943年東京都日暮里で
在日朝鮮人の造花職人の父親のもとに生まれました。

第二次世界大戦中は栃木県田沼町に疎開し、
10歳のときに栃木県足利市へ引っ越します。

子供の頃から絵を書くようになり、
中学2年生のころには漫画を作成しました。

高校進学を勧められたジョージ秋山さんですが、
親や兄弟のことを考えて中学卒業後、就職することを決めました。

ジョージ秋山さんは上京して、
神田の貸本漫画の取次店である『芳明堂』に就職しました。

芳明堂に勤務しながら、
取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、
漫画家の前谷惟光さんの家に毎日のように訪れ、
漫画家を目指したそうです。

そして、ジョージ秋山さんの初単行本は前谷惟光さんの名義で出版されました。

芳明堂を退職後は
いくつかのアルバイトを経て
日本放送映画のテレビアニメ『戦え!オスパー』を手伝うようになりました。

その後、講談社へ持ち込みを続け、
やがて編集者からの紹介で1年半ほど森田拳次さんに教えを受けました。

アシスタントをしつつ貸本漫画に作品を発表し、
1966年に『別冊少年マガジン』(講談社)に掲載された
『ガイコツくん』で商業誌デビューを果たしました。

これが成功し
翌年に連載を依頼された『パットマンX』がヒットして、
1968年の講談社児童まんが賞を受賞しました。

ギャグ漫画で成功したことから、
『ざんこくベビー』
『コンピューたん』
『ほらふきドンドン』
『デロリンマン』

など哀愁があふれる
ギャグを得意としたギャグ漫画家でした。

1970年になってからは、
3月に週刊少年サンデー(小学館)に『銭ゲバ

→ 銭ゲバ 完結上下巻セット【電子版限定】【電子書籍】[ ジョージ秋山 ]

8月に週刊少年マガジン(講談社)に『アシュラ

→ アシュラ(上下 全2巻)

を発表しました。

それまでの作品からは想像もつかない、
あえて欠点をさらけ出すかのような描写で
人間の善悪やモラルを問い、世間から注目を浴びました。

1971年には『週刊少年サンデー』11号にて
『告白』を連載開始しましたが、
その後、数多く持っていた連載を全て終了させて
一時引退を宣言し、日本一周の放浪の旅に出ました。

3ヶ月後には34号『週刊少年ジャンプ』34号の
『ばらの坂道』で復帰。

以後は青年誌にも活動の場を広げ、
1973年12月5日発売の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)の19号より
浮浪雲』の連載を開始。

この作品は大ヒット作となり、
1977年度の花園大学の入試問題にも使われたました。

さらに、1978年にテレビ朝日で渡哲也主演、
1990年にTBSでビートたけし主演で、
2度にわたりテレビドラマ化されたこともあります。
連載は44年に渡り、2017年9月に最終回を迎えました。

→ 【中古】浮浪雲/漫画全巻セット◆C≪1〜112巻(完結)≫

1980年から1984年までの間は『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)にて
成人向け漫画『ピンクのカーテン』を連載し、
この作品は1982年から日活ロマンポルノで成人映画化されました。

映画版は好評により、
1983年までに3本が製作される人気シリーズとなりました。

この漫画版『聖書』は幻冬舎より発行されています。

作家の世界ではよくある話なのか分かりませんが、
単行本のデビュー作品が前谷惟光さんの名義で
出版されたというのはかなり驚きました。

手柄を横取りされたようなイメージで
少し引っ掛かってしまいました。

家族のために中学を卒業後、
就職して努力を重ねてきた結果が
実った人生を歩んでいるような気がしますね!

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まとめ

今回は
・ジョージ秋山が死去!死因や病名は?
・ジョージ秋山に残された家族や息子はいるの?
・ジョージ秋山の経歴

について紹介していきましたが、いかがでしたか?

才能のある方が死去されるのは本当に残念ですが
遺された息子さんがきっと、ジョージ秋山さんが残した作品を
新しい形で今後も広めてくれると思います!

今後の息子さんの手掛ける作品にも注目していきたいですね。

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